プロフィール

狐塚 均

Author:狐塚 均
ヘアデザイナーのブログへようこそ!


最近の記事


最近のコメント


最近のトラックバック


月別アーカイブ


カテゴリー


ブロとも申請フォーム


FC2ブログ

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
不器用に終始して又年暮るる

私が30歳ぐらいの頃、俳句の真似事をしていたことがある。
そのときに作ったものの一つがこの句である。
年月は経たが、相変わらず不器用は変わらない。
きっと私に、ついて回る生き方なのだろう。

たった今、年が改まった。
経済状況の悪さは、100年に一度だそうである。
不安はある。しかし、どんな時代が来るのか分からないが、それも天からの頂き物である。
楽しみたい。
 映画「私は貝になりたい」を見た。理不尽が当たり前の時代だ。戦争という狂気の中で日本全体に、感覚が麻痺していたのだろう。これも日本人自身が作ってきた、日本の歴史の一つである。
 気になる場面があった。日本の軍隊が出る映画でよく見る光景ではあるが、天皇陛下という言葉を誰かが発っすると、その一瞬で全員が気をつけ状態になり、背筋までピンと伸びる。今から見ると不思議な光景である。もしかしたら天皇の歴史の中でも、あの時代が一番天皇が神格化された時代なのかも知れない。たかだか半世紀ほど前の話ではあるが、いずれにしても国全体に独特な空気が張り詰めていた時代であった。
 今回主人公を演じた中居正広の役は、かっこよくもなんでもない、普通に臆病な一般人である。私は以前、彼の主演TVドラマ「砂の器」を放映中興味深く見た。役柄は違うが、ピアノ演奏にのせて日本の情景を美しく描いた部分など随所に似た雰囲気がある。共に見終わったあと心に暗さを残すが、どちらも良かった。
 理髪師・清水豊松に、もし来世があるのなら貝などではなく、また人間に生まれて来ることを望みたい。今度こそ普通の人が、平凡に暮らせる時代に・・・。
20081111-2.jpg
 20年ほど前「うかい鳥山」で焼き鳥を中心とした料理を食べた。今年の夏は、ステーキの「表参道うかい亭」でおいしい肉をいただいた。そして今日、豆腐料理の「とうふ屋うかい鷺沼店」に行ってきた。すべて師匠にご馳走になった。
 いい気分で食事をすることが出来たが、三つの店とも商いをしている者にとっては、非常に参考になる店である。洒落た店を作るには、もちろんそれなりの資金はかかるが、工夫と熱意がいる。この店はいたるところに、妥協をしない精神が表れている。店舗により違う系統の料理を出していながら、それぞれの店の主張が明確であり、全くぶれていない。
 一般に店造りは、もう一歩というところで止めているところが多いような気がする。我が店も、そうである。だから結果も中途半端になる。もう一歩といっても、その一歩が造るときには大きいのだろうが、しかしそこを超えると結果も大きく変わる。当然、店造りだけではなく、普段の維持も大きなエネルギーを使い、その一歩を超える必要がある。
 と、思う。
 明日から初心に帰り、一人ひとりのお客様に満足がいただけるような営業をしようと思った。
 また、今回も師匠に気づきの場を与えていただいた。
 ちなみに写真は、今日の「うかい」店内から見える庭である。

君子豹変

 NHKのカンゴロンゴを楽しんで見ている。先日は「君子は豹変す」を取り上げていた。
納得。見ながら自己を変えることの難しさを痛切に実感した。
 毎年知識と経験を増しているのだから、成長しなければいけないのに自分を変えるということは本当に難しい。
20年ぐらい前にある勉強会で講師が「人間は変わらない」と言っていたのを、私はいまだに覚えている。だからといって自分自身の言い訳にしているわけではない。
 その講師も付け加えていた。「但し、自分が内面から変わろうとしなければ・・・」だそうである。つまり外圧だけでは変わらないということだ。人材育成の授業ではあったが・・・。
 それはともかく、君子などなかなかいるものではないが、自分の中の邪魔なコケは取り除いて、豹変とは行かなくとも、ちょっとづつでいいので変わりたいものである。
 「来年こそ・・・」などと言っていたら、人生終わってしまう。善は急げ。

意味を考える

人は、それぞれテーマを持って生きているような気がする。
それは、簡潔なキーワードの場合もある。言葉には現しにくいもののような場合もある。
その人間が、物事を思考したり、判断したり行動に移すときの切り口である。
私は以前どこかで聞いた言葉ではあるが、「意味を考える」という言葉が何故かいつも頭に引っ掛かっていた。そして、それがいつしか思考のウエイトを占めるようになってきた。
そこで、今後ずっとかどうかは解らないが、しばらくメインテーマにすることに決めた。
常に「その意味は何だろう」と考えてみることである。
これを思ったとき「考える」ことは知ることなので「意味を知る」の方が言い得ているような気がした。
しかし様々な場面に当てはめてみたとき、「知る」を目的にすると矛盾が出てくると思い出した。
「知る」とは確かな答えに行き着くことである。
ところが、世の中には答えは永遠に出てこないものも多い。であれば「知る」より「考える」の方がピタットはまる。その場合答えは自らの中から出てきたり、永遠に出てこなかったりするがそれでいいと思う。つまり考えることそのものが目的である。
これを実践すると、全ての現象に意味を感じ取ることだけは出来、結構諸問題が解決出来る。
また、今生きているこの時々に面白みが見えてくる。
この言葉自体に出会ったのは、数年前であるが、今そう感じさせてくれるために、出会わせてくれたのだろうか。などと早速「考えて」いる。

Powered by FC2 Blog